「楽しむ」から「楽しませてもらう」へ

卓上RPGを遊ぶのは、「楽しむ」ためである、と答えない方はおそらくいないでしょう。しかし、その各々が言う「楽しむ」という語が意味するところは、必ずしも同じではありません。

ここでは「楽しむ」の内容を、「皆で楽しむ」、「自分が楽しむ」、「楽しませてもらう」の三つに分けて、考えてみます。

「皆で楽しむ」とは、多人数が参加する遊戯やスポーツに特有の楽しみ方です。ここでの楽しみの主眼は、参加者同士の交流にあります。卓上RPGで言うと、(ゲームマスターを含む)全プレイヤー同士での和気藹々とした団欒に重点が置かれ、ゲームシステムやシナリオ、キャラクターなどはそのための道具という役割を果たします。やり取りそのものが楽しいのであって、遊ぶ内容とは無関係に、全員が確実に楽しめます。ただし、意思疎通を頻繁にこなさなくてはならず、初対面の相手とでもそれを行うには少なからぬ社交性が要求されます。

「自分が楽しむ」とは、パズルやコンピューターゲームなどの一人遊びに特有の楽しみ方です。共に楽しむ相手は本来想定されないため、その分ゲームプレイの中に集中できます。ゲームシステムやシナリオ、キャラクターの間に生まれる仮想世界に没頭し、それらを深く楽しもうとします。うまくすれば最も濃密な喜びを味わうことができますが、卓上RPGのように多人数でやろうとすると、成果が確実に得られるとは限りません。欲する喜びを他の参加者と取り合いになったり、期待通りの顛末にならなかったりして、しばしば楽しみに不公平が生じます。

「楽しませてもらう」とは元来、読書や映画鑑賞などにおける楽しみ方です。「楽しませてあげる」者の存在が必須で、一人(例えばゲームマスター)がその役割を担う方法や、全員が互いに「楽しませてあげる」やり方があります。参加者が複数でも管理し易く、得られる楽しみを平等に配することも可能です。ただしその内容や出来は「楽しませてあげる」者の能力次第ですから、素人同士であれば妥協が必要です。与えられるものを素直に受け入れるのは勿論、余計な発言などは控え、管理に支障が起こらないよう配慮しなくてはなりません。

以上三つが卓上RPGの現場に登場した順序も、おそらくこの通りと思われます。その「進化」についての私の仮説は、次の通り。

  1. 友人同士が「皆で楽しむ」ためにRPGを遊んでいた段階。初対面の相手とも友人同様に接し、内容よりも遊ぶこと自体を楽しんでいた。(安定)
  2. RPGで「自分が楽しむ」ための参加者が現れた段階。成功例は多くの者を魅了したが、失敗や不平等も多々あった。(不安定)
  3. 成功と平等との安定供給のために、「楽しませてもらう」RPGが導入された段階。(安定)

上記仮説の是非はともかく、どのような選択にも一長一短がある、というのが私の見解です。どの楽しみを最善とし、重視するか。あるいはどれを軽視し、排除するか。どのような選択であれ、長所と短所を全参加者が理解していれば、良い面だけを得ることも可能でありましょう。

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