「殴り合うコミュニケーション」についての、私から説く最後の文です。トラックバックをいただいた場合は、続きますけど。
自問はタイトルの通り、私=鏡は「殴り合う人々」か?というものです。
自答は「否」です。私は「殴り合う人々」ではありません。「殴り合わない人々」でもありませんけど。
では何か?というと私は、「殴り合う人々」になりたい人、「殴り合う人々」になろうと努めている人、です。
その努力が実るか否かは、私の行動次第。「できる」から実るのではなく、「やる」から実るのです。
「やる」か、「やらない」か。重要なのは、ただそれだけなのです。