引き続き、時事ネタ。事故や事件で亡くなった方のご冥福を祈るにしても一々記すことはしませんが、今回は特別。松岡利勝農林水産大臣の逝去を悼むと共に、考えたこと。
2007年5月アーカイブ
久々の時事ネタ。調べれば分かることなので、詳細は省略。
随分間が開きましたが、議論系掲示板のログと、鏡が執筆した論考四本を、追加公開しました。レイアウトの見直しがどうしても時間が掛かります。…次はいつになりますやら。
一人で「反省」する、つまり「自分の言動の良かったところを挙げる」のと「自分の言動の悪かったところを挙げる」だけなら、他の参加者のことまで考えなくてよいので、楽と言えば楽です。反面、相手からの視点を得られないため、反省するだけで終わることも多くなります。もちろん、やらないよりはマシですが。
多人数でやるにしても内容が限定されると、まったく別の「会」となります。以下、内容をひとつのみに限っての「会」につき、その長短を考えてみます。
「反省会」では、次の四つのことが行なわれます。
- 自分の言動の良かったところを挙げる
- 他者の言動の良かったところを挙げる
- 自分の言動の悪かったところを挙げる
- 他者の言動の悪かったところを挙げる
「反省」とは「過去の言動の善悪可否を考えること」であり、それを集団で行なうのが「反省会」です。「反省」好き、「反省会」好きなのは日本人の特徴であり、謙虚さという美徳の顕れです。アメリカ発祥の卓上RPGであっても、遊び手が日本人であれば、「反省会」をやるのは不自然なことではありません。
卓上RPGで遊んだ後、「反省会」という時間を設けることがあります。今遊んだゲームプレイを皆で思い返し、語り合うのです。私にとっては間違いなく楽しい時間なのですが、この「反省会」に対して悪いイメージを抱き、忌避している者もいるようです。何故でしょうか?
「殴り合うコミュニケーション」についての、私から説く最後の文です。トラックバックをいただいた場合は、続きますけど。
自問はタイトルの通り、私=鏡は「殴り合う人々」か?というものです。
最後の余論。いわゆる「いじめ」の中には「殴り合うコミュニケーション」が見られない、という話です。
黄金週間とはいえ、毎年同じく連休無しの鏡です。渋滞情報を見ると、ほんのちょっぴり慰められます。
さて、4月29日付エントリー「余論 : 殴り合う心理」の中で「自我肥大」の英語名を「Self-Inflation」としましたが、「Ego-Inflation」に訂正しました。訂正の度にやるとは限りませんが、今回はここにご報告しておきます。