やるかやらないか、だけが重要

「うすくちゲーマのTRPGラクガキ帖」のアキトさんからトラックバックをいただきました。有難うございます。

結論から言うと私は、やるかやらないかだけが重要、と考えております。やらない間はできるかできないかは決して証明されず、しかし一回でもやれば、できることは明白になるのですから。以下は各論。

まず、「できる人が必ずしも常にやっているわけではない」のは仰る通りで、私も次のように状況を定義して論じております。

  • 殴り合う人々」…仲間と意見が合わない場合には「殴り合うコミュニケーション」ができる者
  • 殴り合わない人々」…仲間と意見が合わない場合でも「殴り合うコミュニケーション」ができない者

次に、「やれば必ずしも良い成果が得られるとは限らない」については、エントリー「なぜ殴り合わないのか」の「やらない理由」3で触れております。

アキトさんによる四分類の内、「できる-やる」と「できる-やらない」とは、「やることができる」者にとっての選択肢です。よって、各々の多寡は問題になりません。三番目の「できない-やる」即ち「やることができない者がやる」はありえませんから、何故このような分類をなさったのか不可解です。

ただし、アキトさんが「できる/できない」を「上手くできる/できない」の意でお使いならば、その分類も納得できます。もしそうなら、私は「やることができる/できない」で考えていますので、その辺がすり合わせの鍵となるかも知れません。

反省会の弊害については、ぜひご教示ください。「殴り合うコミュニケーション」ができない者が過度に忌避したり、「殺し合うコミュニケーション」を始めたりする恐れはあるでしょうが、他にもあれば、ぜひ知りたいと思います。

不明な点や疑わしい論旨がありましたら、今後とも容赦なくご指摘いただければ幸いです。

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