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「殴り合うゲームプレイ」では「睦び合う」のも「殴り合う」のも楽しまれます。対して「殴り合わないゲームプレイ」では、「睦び合う」ことは楽しまれますが、「殴り合う」方は選択できません。

殴り合わないゲームプレイ」では、ゲームマスターも各プレイヤーも「睦び合う」ために卓を共にするのであって、それができなければ参加する意味が無く、それができない相手は最早仲間ではありません。周囲の期待を外れたことを誰かがしてしまったり、参加者間に対立関係が生じてしまったり、その対立を解消すべく話し合わねばならない、などの不幸な「事故」は、時間の無駄にしかなりません。その時間を正しく使えば多く楽しめたはずなのに、得られたはずの楽しさが減ってしまうなど、忌まわしい悪夢ではありませんか!

そういった「事故」を避けるためには、プレイ参加者全員の認識や発想を可能な限り類似させ、互いの期待するところがほぼ同じであるようにしなくてはなりません。

伝統的な方法のひとつは、参加者の外部に「模範」を設定し、それに全員が合わせることです。ゲームシステムが属するジャンルの名作、デザインの参考にしたであろうストーリー、それとは別でも参加者全員が知っていそうな物語、公式リプレイ、あるいは人口に膾炙したパターン分析などが「模範」の候補となります。参加者の内的な「常識」などは、個人差に誤魔化しが利きませんから、鬼門です。

もうひとつ、参加者間に「優先順位」をつけ、より低位の者は高位の者に合わせる、という手もあります。「ゲームマスター>主役的PCのプレイヤー>脇役的PCのプレイヤー」というのが典型例でしょう。ゲームマスターの上に「デザインコンセプト」「デザイナーズノート」「デザイナーの意図」などを乗せることで、権威付けがなされることもあります。

これらの工夫によって「どういうことが期待されるか」が互いに分かれば、期待を裏切らないために「何をすれば良いのか分からない」がためにプレイが滞ることも避けられます。ただし、一人でも同じ「模範」や「優先順位」を認識していない人間、例えば「模範」的なリプレイを読んだことのない者が一人混ざっていると、うまく機能しません。その場合は、その者を再教育する(リプレイを読みなさい!)か、「殺し合うコミュニケーション」などによって仲間から追い出すことで決着が付けられます。

ちなみに昨今は、「模範」や「優先順位」をルール化することで、成功率の上昇が図られることもあります。このようなルール化には、権威付けの効能もあります。皆さんよく御存知でしょうから、省略。「よくできていますねぇ」ってヤツです。

このようなゲームプレイでは、意見対立が起これば「失敗」「悪いプレイ」「下手なプレイ」、起こらなければ「成功」「良いプレイ」「上手なプレイ」となります。要するに「失敗」しないことが「成功」なのであって、そのために工夫と努力に勤しむのが、「殴り合わないゲームプレイ」です。

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