卓上RPGに限らず、「コミュニケーション」(言語による意思伝達)は重要な行為です。この「コミュニケーション」を、ここではその仲の良さ/悪さ、あるいは優しさ/厳しさで三段階に分け、次のように称します。1が最も親密、3が最も殺伐としたものです。
- 睦び合うコミュニケーション
- 殴り合うコミュニケーション
- 殺し合うコミュニケーション
「睦び合うコミュニケーション」とは、親友や恋人、家族の間で行われるような愛情・友情のこもった語らいや、それほどで無くとも友好的なやり取りのことです。ここでは相手の発言や行動は全肯定的に受け入れられます。
「殺し合うコミュニケーション」はその対極で、相手を敵とみなし、倒すか倒されるかを懸けて争うようなやり取りです。相手は、発言や行動のみならず、その存在すら否定されます。終着点は相手を抹殺することにあるのです。
両者の間にあるのが、「殴り合うコミュニケーション」です。議論や批判、ケンカなどはこれに属します。そこでは相手の特定の発言や行動が否定されますが、それを行った相手そのものは肯定されています。対立が生じるがために「殺し合う」かのように見えたとしても、相手を受け入れている点で「睦び合う」側に近い位置にあります。
さて、「殺し合う」のは最後の際での非常手段、通常は「睦び合うコミュニケーション」と「殴り合うコミュニケーション」とを使い分けるのが健全な状態である、と私は考えます。ところが世の中には、「殴り合うコミュニケーション」を知らず、「睦び合う」か「殺し合う」かの両極端を行き来する者がいるようです。生きていくことすら大変難儀になるであろう、このような「殴り合わない人々」などについて、このカテゴリーでは論考をまとめてまいります。