ここからは「世界設定」について考えてみます。
まず重要なこととして、「ルールシステム」と違い、「世界設定」はすべてがルールブックに書かれていません。サプリメント(補助資料集)も含め、そこにあるのは主要かつ表面的な情報であって、残る大部分は遊び手が独自に「補足」しなくてならないのです。そしてその補足作業において、多くの「解釈」が介入することとなります。
さて、こちらでの三つの題材、ひとつめは「格差」です。その世界の住民たちに、人種(種族)、性別、宗教、地域(国家)、階級、職業などによる(大きな)格差や(強い)差別があるか、ということです。これらは、キャラクター同士の関係の基本、他のキャラクターの行動予測の前提となり、行動決定にも影響を及ぼします。なお、その社会内部で「無くそう」と公然と言えるような小さな格差や弱い差別は無視できますから、「無い」と言ってしまってよいでしょう。
「クトゥルフ神話TRPG」の世界設定のひとつ「1920年代アメリカ」についてのルールブック上の記載事項(ほとんどありません)に、私が独自に補足した情報を加え、そこから「特徴」を読み取ります。結果、次のように「なりました」、というよりは「しました」。
1、人種について、格差/差別がある。
2、性別について、格差/差別が無い。
3、宗教について、格差/差別がある。
4、地域について、格差/差別が無い。
5、階級について、格差/差別が無い。
6、職業について、格差/差別が無い。
「世界設定」の他のことでも同様ですが、実際に「あるか、無いか」ではなく、「あることにするか、無いことにするか」が問題なのです。それが史実や「デザイナーの意図」にとって正しかろうが間違っていようが、どちらでも構いません。どちらにしても良いので、余計どちらにするか明確にされなくてはなりませんが。
総じて私の解釈では、「格差/差別がある(ことにする)」ならば、それを「計画的に使い分けるプレイ」に向くこととなります。逆に「格差/差別が無い(ことにする)」ならば、それらは「重要で無い」「好きに選べばよい」こととなります。例えば上記の場合、人種と宗教についてはよく相談して、計画的に分担すべし、と。格差があるが故に、揃えた方が活動範囲が広がる、と考えるのです。
あるいは上記から「当時の白人キリスト教徒の視点を楽しむべき」と解釈することもできます。