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「遊戯法」について更に語る前に、それを概念として認識し、考えることのメリットを示しておきます。

私が「遊戯法」などと大層な名前を付けるより遥か昔から、「ルールブックや世界設定をどう使って遊ぶか」という思考はありましたし、誰もがそれを実践してきました。昨今では「リプレイのように遊ぶ」という代替手段もありますが、それができるようになる以前や、リプレイの無いゲームシステムでは今でも、自分の頭で考えなくては遊ぶことができない/できなかったのです。

自力であれ他力(リプレイなど)であれ、そうして生み出された遊び方には陥りやすい問題がありました。それは、その遊び方を「唯一正統なもの」と思い込んでしまうことです。豊富な経験からゲームシステムの多様性に気付いている者でも、「ひとつのゲームシステムに最適の遊び方はひとつしかない」という誤解はありえました。「唯一正しい遊び方」と「それ以外の遊び方」との共存は大抵困難で、しばしば対立の元凶とならざるを得ません。唯一絶対神は、他の唯一絶対神を受け入れることができないのです(悪魔としてなら認めるでしょうが)。

それならば多神教ではどうだ、というのが「遊戯法」の発想です。端から多種多様な遊び方を認めてしまえば、自分と異なるものが現れても動揺することなく、受け入れることができます。例えばコンベンションなどで、あなたが好きなゲームシステムを使って、あなたとは(あるいはリプレイとは)まったく異なるプレイをしようとする者がいたとしましょう。それは、あなたの遊び方が「唯一正しい」なら「間違ったやり方の喧伝」ですが、多様性を弁えていれば「新しい体験への誘い」と受け取ることができるのです。ひょっとして相手が自分では「唯一正しい」と思っていたとしても、プレイするだけなら同じことです。

また、ひとつのゲームシステムから得られる楽しみを増やすこともできます。今やっている遊び方に飽きた時、別のゲームを買う前に、そのゲームシステムで他の遊び方に挑戦することができます。もちろん向き不向きはありますから、向いていなければ新しいものが必要にはなりますが…。

寛容性と柔軟性、そして楽しみの増幅。これらが「遊戯法」を認識し、その多様性を受け入れることのメリットと考えます。(…実はデメリットもあるのですが、あえて語りません。)

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