「成功」で分かれる三世代

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「遊戯法」を分ける根本的発想のひとつは、「成功」をキーワードに考えることができます。「ミッション成功」「セッション成功」そして「成功が無い」ものです。これらはまた、日本における卓上RPG主流の発展史でもあるので、その順に従って説明します。

まず、卓上RPGには「成功」がありませんでした。成功が無ければ、当然「失敗」もありません。シナリオ内の目的が達成できないことはありましたし、プレイヤーキャラクターが逃げたり全滅することもありましたが、それは「失敗」ではなく、そういう「結果」に過ぎませんでした。キャラクターはまた作れますし、次回のプレイもあるのですから、結果がどうであれ、何ら問題ではありません。要は、そのプレイが「面白い」か「つまらない」かという参加者各々の主観的判断だけが重要なので、各々が「面白い」と思うように自由に遊んでいたのです。素晴らしいかな、自由なる卓上RPG!

しかし不満の声も聞かれました。自分の自由ばかりを絶対化し、相手の自由を損なう者に対する非難でした。好き勝手にやられては「話」が無茶苦茶になる、せっかく作ったシナリオ通りに遊んで欲しい、もっと真面目に取り組むべきだ、と。「小説や映画のようなゲーム」を夢見て遊び始めた者たちも少なくありませんでしたが、コンベンションでは全員の希望を調整する余裕が無いため、それを実現するには何らかの工夫が必要でした。

そして「ミッション成功」という概念が生まれました。シナリオで定められた目的を達成できたら「成功」、できなかったら「失敗」。その明白かつ客観的な評価はルールシステム(経験値)にも活かされ、公式かつ権威ある方法として認知されていきました。「真の目的」が他にあれば「小説や映画のような」喜びを増しましたし、「不完全な成功」はプレイの奥行きを演出しました。何よりプレイヤーの心はひとつになり、誰もが「ミッション成功」を目指しました。素晴らしいかな、「ミッション成功」!

しかし不満の声も出てきました。目的を達成してハッピーエンドという構図では悲劇や複雑なテーマが難しく、「小説や映画のよう」ではありませんでした。かといって目的を複雑化すると、何をすれば良いのか分からなくなりました。明確な場合でもプレイヤーキャラクターの設定に合わないことがありました。「ミッション成功」という客観的評価の前で、「ミッション失敗」を選ぶ/選ばせるのは困難なことでした。自分が費やした労力や時間まで否定されるように思う者もいたかも知れません。

そして「セッション成功」という概念が生まれました。「ミッション」(シナリオ内の目的)をキャラクターが達成することが重要なのではなく、「セッション」(シナリオプレイそのもの)をプレイヤーが楽しむことが大切であり、それができれば内容に関わらず「セッション成功」としたのです。それを支えるための様々な工夫も生み出されました。それに適したルールシステムの開発に加え、「シーン制」「フェイズ制」「ハンドアウト」「今回予告」といったセッション成功のためのルール群は、私がいう「ルールシステム」よりは「遊戯法」に属するものと言えます。これらを使いこなすことで、どのような複雑な物語も可能となり、キャラクターとシナリオとの不和もほぼ解消され、しかも「成功」を勝ち得ることができるようになったのです。素晴らしいかな、「セッション成功」!

…「セッション成功」とは実は幻のようなものですが、それを信じられれば(信じる振りをすれば)完璧に機能します。ここではこれ以上言いますまい(^_^;)。

私はかれこれ20年近く卓上RPGを楽しんでいますが、上記はその中で体験したことをまとめたものです。省いた部分も少なくありませんが、以上が大きな流れとして見てきたところです。

「遊戯法」に話を戻します。要は、「ミッション成功を目指す」のか、「セッション成功を求める」のか、それともそのどちらでもなく主観的な面白さで満足するのか。その選択は、具体的な「遊戯法」以前の問題となります。どれも一長一短ですから、すべてを使い分けても構いません。しかしどれを前提とするかは「遊戯法」についての考察に影響を及ぼしますから、少なくとも三通りの考え方があることは憶えておいて欲しいと思います。

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